趣旨

 

 

昭和20年8月15日終戦の日から、実に50年を経ようとしております。

 戦争終結後にも拘らず、私達は旧ソ連軍の捕虜として、シベリア各地に強制抑留されました。この間、夥しい数の戦友・同胞を、酷寒の凍土に曝すことを余儀なくされ、しかも、その後40数年の間、旧ソ連の国情とはいえ、これを放置せざるを得ませんでした。

 ソ連邦の崩壊とともに、平成3年以来国家による遺骨収集作業が漸く緒につきました。前途は遼遠のものがありますが、このことは、ご遺族を始め、被抑留生残者の私達の深く喜びとするところです。

 私達が抑留されていたシベリア鉄道沿線およびその近傍にあったラーゲルで死歿の戦友を埋葬した墓地の数は、チタ州内に限っても49個所に及ぶと聞き及んでいます。チタ州に隣接するイルクーツク周辺も、ロシア側のボランティア団体イースチナによる日本兵墓地の捜索と保持が行われていることは、感謝に堪えないところです。

 こうして、旧戦友が墓参を果たすことの出来た幾つかの地には、追々、ささやかな鎮魂の碑が建てられているようですが、殆どシベリア鉄道の本線に遠い僻地にあるため、いずれは風雪に埋もれてしまうときを迎えざるを得ません。

 このような現状を考え、抑留中死歿の戦友の遺志を肘度するとき、只に鎮魂の碑にとどまらず、日露両国国民が永く平和を堅持することを希求して、終戦後50年を期し、その記念に象徴としての平和慰霊祈念モニュメントを建設したいと一致して強く望みます。

 そしてシベリア鉄道本線沿線の州都チタ市中心地の目抜き通りの一角をその適地とし、既にチタ市当局の同意と建設協力の合意を得るに至っております。 

 ついては、草々に平和慰霊祈念モニュメントのための建設委員会を設置し、建設のための準備行為に入りたく、広くチタ州のみならずシベリアの被留者団体と同州との友好都市提携団体にも呼びかけ文をお送りして、ご賛同、協賛、協力、後援をお願い致します。

 本趣旨をご理解賜り、ご内意が得られますならば、発起人としてご賛同を戴きたく、また、建設準備委員会にご就任下さるように願い上げる次第です。

 

平成6年10月10日

平和慰霊祈念モニュメント建設準備委員会

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